官学や文化のメッカとも言えるテハクロ(大学路)にて近現代の建築物を見て回るコースです。テハクロ(大学路)には大韓帝国時代の大韓医院、日本統治時代の京城工業専門学校と京城帝国大学を経て今のソウル大学が出来ました。現在もソウル大医科大や韓国放送通信大学が位置し官学の命脈を繋ぎ、今は名実相伴う若者の街で文化のメッカとなりました。このコースはテハクロ(大学路)にある近現代の建築物を見て回り、韓国の現代史を振り返ることが出来ます。
日本統治時代に京城帝国大学の本館として建てられた。 1922 年教育令が改正されることで民立大学設立運動が本格化すると、総督府は 1923 年朝鮮帝国大学創立委員会を発足し、 1924 年に日本の6番目の帝国大学として京城帝国大学を設立した。法文学部、医学部、理工学部の構成だったが、芸術家の家は法文学部の本館だった。日本の統治が終わってからはソウル大本館として使われた。建物は全体に鉄筋コンクリート構造にタイルで仕上げられ、 1930 年代の歴史主義建築スタイルから脱皮するという過渡期の様子を伺わせる。 1975 年にソウル大総合化計画によりクァナク ( 冠岳 ) キャンパスに法文学部が移転されてからは文化芸術委員会が使っている。
アルコ美術館とは1979年、韓国の代表建築家であるキムスグンが設計した建物をマロニエ公園内に新築、移転することで現在の様子となった。美術館の赤い煉瓦は隣のアルコ芸術劇場と共に今の大学路の象徴でもある。美術館はマロニエ公園の東側に位置しているが、それは公園を塞ぐよりは公園と美術館が繋がれることにより人とコミュニケーションを取るという建築家の意図が建物の低層部や傾斜路に込められている。
アルコと共に元ソウル大の敷地に新たな文化空間が位置づける上で主導的な役割を果たしていた建物である。特に、道端の商業建築から道を建物の内側に引き込むことで建築と都市の関係を新たに結び付けたと評価を受けている。(設計 / 年度:キムスグン / 1979 )