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ウサダン(雲祀壇)村は、ハンナムドン(漢南洞)のイスラム寺院からトケビ市場に至るまでのウサダンロ10ギルを言います。最近の「ホット」プレイスになったこの村は、わずか2〜3 年前は立ち遅れた「怖い」村でした。このような認識を打破するために、近所の若いアーティストと住民が力を集めました。このように結成されたウサダン団は、村に「文化」というコードを導入しました。この時に作られたのが異色市場である「ゲダンジャン」です。クチコミを乗って知られ始めたゲダンジャンは、現在公知5分で200人以上の参加者が集まるほど人気が高いです。ウサダン団のメンバーであり、10秒肖像画作家としても有名なジャンジェミン作家は、これほどウサダン村に対する認識が良くなったと言います。彼が当初目標した「遊びに来たいと思う村」を完成したわけです。現在のこの村を形成する土台を築いたジャン・ジェミン作家は、2年前に初めてここに作業室を開きました。自分の好きなこの村の姿が消えない方法として、ゲダンジャンと共にウサダン村のアーカイブ作業を計画しました。村の外観はもちろん、出来事や歴史的な内容、行政的な問題まで全てを集めて地図に記録して出版する作業であります。ウサダン団の不断の努力によりウサダン村は面白い村に変貌しました。ただし、ゲダンジャンが開かれる毎月最終土曜日を除いては、静かで平凡な普通の村の姿を維持しているので参考にしましょう。
空の下の昔のソウル、プッジョンマウル(村)
空と当接するように高い頂上に位置したプッジョンマウル(村)。ソウル城郭北端の下に細々と集まっているこの村は、都市化されたソウルではなく、ソウルの昔の姿を残しています。このような姿をまともに見たいなら、プッジョンマウル(村)の辺りから歩いて上ることをお勧めします。地下鉄4号線ハンソンデイック駅6番出口からマウルバス1111番と2112番に乗ってソンブク(城北)区立美術館で下車します。そのすぐ横に位置したスヨン(壽硯)山房(小説家尚虚李泰俊住宅)をはじめとして、満海韓龍雲先生の家である尋牛莊を過ぎると、陸橋の壁面いっぱいに鳩の壁画と造形物が繰り広げられます。狭い路地を曲がったところに、本格的な村の姿が目に入ってきます。村のバス停兼ブッジョンカフェとも呼ばれる村内のお年寄り出会いの場所と、現在は運営されていないがブッジョンマウル(村)の人々の日常を展示していたブッジョンギャラリーなどが目立ちます。城郭に向かって再び道を登ると、装わない人々の生活を捕捉できます。家の前の小さな家庭菜園と醤を仕込んだ壺、勝手に置かれた椅子と縁台。ジャンスンを過ぎるとソウル城郭に到着します。ソウルの長い時間を大事にしまっておいたブッジョンマウル(村)は、私たちの暮らしが溶けている本物の村の姿を残しています。
スヨン(壽硯)山房 ソウル市ソンブク(城北)区ソンブクロ26ギル8 (城北洞248)
尋牛莊 ソウル市ソンブク(城北)区ソンブクロ29ギル24 (城北洞222-1)
鉄工所の隣の美術館、文来創作村
荒くて索漠たる。鉄鋼工場と鉄商店街が密集していたヨンドゥンポ(永登浦)ムンレドン(文来洞)の昔のイメージです。ムンレドン(文来洞)は、1970〜1980年代のソウルの産業を率いていたところだったが、鉄鋼商店街の郊外移転を推進しながら徐々に衰退の道を歩きました。自然に空きスペースができたし、この空間に芸術家たちが一人二人集まりました。2000年代半ばに流入し始めた芸術家たちは現在、約200人に増え、約80個の作業室を形成しています。鉄工所と芸術村との共存はムンレドン(文来洞)の雰囲気を変化させました。派手ではないがわずかな見物が近所のあちこちに生じて一つの美術館を完成しました。ここを見回る規則は別にないが、最も簡単な方法は、地下鉄2号線ムンレ駅7番出口から文来芸術工場という表示板に沿って歩きながら、溶接面の形状の造形物を見出すことです。鉄鋼のメッカであったことをはっきりと現すこの造形物の後ろに鉄工所と狭い路地が続きます。路地の古い壁や底には、本来の姿を生かした壁画や色とりどりな小物が姿を現します。この狭い路地を通って他の道に抜けると、ムンレドン(文来洞)郵便局の裏側にもこのような風景が続きます。文来創作村に行けば、鉄鋼や芸術という異色の出会いを経験できます。
ジョン茶房プロジェクト
敷居の低い文化芸術空間を目指す代案空間「ジョン茶房プロジェクト」
Address ソウル市ヨンドゥンポ(永登浦)区トリムロ432 (文来洞3街58-77)