トクスグン(徳寿宮)は朝鮮王朝時代末期、朝鮮に対する西欧列強の利権争いが激しかった当時、コジョン(高宗)皇帝が暮らしていた場所です。コジョン(高宗)が大韓帝国を宣布し、皇帝の座について朝鮮の自主独立国であることを対外的に明らかにしようしていた時期に滞在した宮殿ですが、このような意志は日本によって阻止されてしまい、ついには日本の強圧により王位を退き、崩御するまでトクスグン(徳寿宮)に抑留されました。皇帝の住まい、すなわちコジョン(高宗)の家だったその空間は、コジョン(高宗)が王位を退いた後、毒殺の脅威に満ちた監視の空間となりました。この場所で、コジョン(高宗)が感じた感情と時間を心に刻んでみましょう。
トクスグン(徳寿宮)はチャンギョングン(昌慶宮)、チャンドックン(昌徳宮)、キョンボックン(景福宮)に比べて面積は小さく、朝鮮王朝時代の木造建物と共に西洋の石造建物が残っているため、他の古宮とは少し違う感じがするかもしれません。トクスグン(徳寿宮)でのおすすめは「ガイドツアー」で、日本語、英語、韓国語、中国語の4ヶ国語で行われ、トクスグン(徳寿宮)管理所、ウリクングォルチキミ(宮殿警備隊)、クングォルキㇽラジャビ(宮殿道案内)の3機関がガイドを行っています。。トクスグン(徳寿宮)はユニークな建物が多く、建物にまつわるストーリーも多彩なので、解説を聞きながら建築物を見物すると、ただ歩くよりもずっと楽しくトクスグン(徳寿宮)を知ることができるでしょう。
1897年の大韓帝国宣布後、朝鮮王朝の国家体制は西洋の官制を正式に使用することになりました。宮殿内の衣食住は完全に変わり、トクスグン(徳寿宮)も大々的な整備に入りました。ハムニョンジョン(咸寧殿)裏庭の奥まったところにあるチョングァンホン(静観軒)は、当時造られた宮殿の内部に建てられた最初の西洋式建物だと言われています。手すりは洋風の鉄製様式ですが、文様は松、鹿、コウモリなど韓国の伝統模様を使用し、伝統と近代の調和が感じられます。ここは、コジョン(高宗)が茶菓を楽しんだり、接見するために建てられた建物だと言われ、そのためか宮殿内の小さなカフェのような感じがします。
ソクチョジョン(石造殿)は、洋館を模した代表的な建物で、建物自体の大きさは西洋の有名建物に比べこじんまりとした感じですが、当時の韓国の人々にとっては新しい存在として深い印象を残したと言われています。特にソクチョジョン(石造殿)は、皇帝の権威を表わしたシンボルとしてその意味が格別とされ、コジョン(高宗)が業務を行うためのピョンジョン(便殿)とチムジョン(寝殿)として使用するために建設され、現在は美術館、博物館として使用されています。イギリス人建築家の手によって設計されたため、建物から前庭までイングリッシュガーデンのようです。
チュンファジョン(中和殿)とチュンファムン(中和門)は、トクスグン(徳寿宮)の中核をなす建物で、チョンジョン(正殿)として王の即位式、臣下の祝賀会、外国使臣の接見、国家行事に使用されました。また、コジョン(高宗)皇帝が大韓帝国の誕生を宣布し、スンジョン(純宗)の代理聽政(王の裁可を受けて代理で政治を行うこと)の儀式が行われた場所でもあります。最初は重層に建てられましたが、1904年に焼失し、現在の建物は1906年に再建され、単層へと縮小されました。トクスグン(徳寿宮)の最も中央に位置し、チョンジョン(正殿)としての地位が感じられ、華やかながらもきれいな丹青や隅棟の像などは、王室建築でしか見られない朝鮮建築の特徴が多くあります。現在、チュンファジョン(中和殿)はチュンファムン(中和門)と共に宝物819号に指定されています。
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